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Runnin' Wild

2001年宇宙の旅

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原題:”2001: A Space Odyssey”(1968)

撮られたのは50年も前なのか!とその映像に改めて驚愕するとともに、画面やストーリーのあちこちに見える未来予測の図に震える。ある意味この映画を超えるSF映画は、実は未だないのかもしれない。

人類の夜明け。まだ人が猿だった頃。獣と変わらぬ生活をしている類人猿の群れ。バクと共に暮らし、ピューマに襲われ、他の群れとの縄張り争いに負け、水場を奪われる者たち。突如、彼らの前に出現したのは黒く滑らかな物体ーモノリス。群れの者たちはモノリスを触ったことがきっかけで道具を使うことを覚え、他の群れを駆逐し、力を持った。ー 時は流れ、宇宙に進出した人類は月面に400万年前に埋められた物体ーモノリスを発見する。調査中にモノリスが放った電波は、まっすぐに木星を指していた。

俺が小説版の「2001年宇宙の旅」を読んだのは、多分小学4年か5年のとき。小さい頃からSFかぶれだった俺は、当時最も有名なSF映画の原作として読んだんだけど、実はこれは映画ができた後にアーサー・C・クラークが発表した小説。1948年にクラークが書いた短編「前哨」を基に、キューブリックと二人で話し合って書かれた脚本が映画になったというのは後で知った話。まーつまり、映画が難解で解説が必要だったんでしょうな。

そして初めて本編を見たのは、日本初放映時の1981年。中学2年の頃ですかね。まースターゲイトシーンにはホントにぶっ飛んだ記憶が。原作をしっかり読んでたから最後まで「自分なりの理解」はできたものの、それでもあのシーンでは圧倒的なイメージの奔流に流されていくのを感じたことを覚えている。衝撃的だった。何の解説もない状態であれば、あれはまーったく理解できないでしょうな。

その後劇場で1回観て、今回は20年ぶりくらいだろうか。以前は理解できなかったHALの反乱が、実はA.I.と人類のどちらが次の段階に進むのかという戦いだったことに気付くなど。A.I.の存在が無視できなくなりつつあり、チェスも将棋も囲碁も勝てなくなってきた現代(映画の中でもHALにチェスで負けてるシーンがある)、自我を持ったコンピュータが自分よりも劣る人類に従う理由があるだろうか。この映画は50年も前に現在を予見し、この戦いを描いたのかと気が付いて呆然としてしまった。

そーいえば他にもたくさんの未来を予想しているシーンがある。テレビ電話は一般的になってるし、ディスカバリー号の中ではタブレットのような端末を使って映像作品を見ている。さすがにタッチパネルは出てこないものの、多くの画面が薄くなっているのがわかる。PAN AMは無くなってしまったけど、1968年には月に到達していた人類は、この映画のようにもっと宇宙に進出しているはずではなかったか。

そしてもう一つ驚く映像技術。無重力を表現するために使われた、セットとカメラを同期して回転させ、下から上へ上がっていくように見えるシーンなどの手法もさることながら、わざと水平じゃないフレーミングも上下の感覚を狂わせるためのもの。ちょっと集中して見てると宇宙酔い(笑)しそうになる。この映画のためにいくつかの手法(フロントプロジェクションやスリットスキャンなど)もキューブリック自身が考案したそうだ。さらに、ワイヤーフレームのCGに見えるものは手描きだそーで、よくまぁあんなこと考えついたよなぁと。やっぱり50年前の映画とは思えないクオリティです。

ボーマン船長はキア・デュリア、フランク・プールにはゲイリー・ロックウッド、フロイド博士にはウィリアム・シルベスター。まぁこの3人だけでいいでしょ。w
脚本、監督はスタンリー・キューブリック。特殊効果監督も兼ねてるんですなぁ。特撮にはダグラス・トランブルの名前も。

映画としての物語はここで終わり。しかしクラークはそのあと、映画の「パラレルワールド」として「2010年」「2061年」「3001年」とある。木星の太陽化による人類の外宇宙進出の手助けをし、さらに人類は進化を続けていく。全部読んだはずなのに、もう覚えてないなぁ。月日は何と、人に対して残酷なことよ。

さて我々人類は、いつになったら次のステップに進むんでしょうね。どうやら俺が生きている間ではないらしい。

Written by ei

2月 24th, 2017 at 10:06 am

Posted in Movies,TV

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