マン・オブ・スティール
原題:”Man of Steel“
日本人でさえよーく知ってる物語なだけに、リブートは大変だよね。33歳まで引きニート、自分探しの旅をするスーパーマンてどーなのよ。(マテ
絶滅の危機にあるクリプトン星でゾッド将軍による反乱が起こる。科学者ジョー・エルはクリプトンで最も大事なコデックスを、数百年ぶりに自然分娩で生まれた息子カル・エルに託し、地球へと脱出させた。ー時が経ち33年後、地球ではクラーク・ケントとして育てられたカルは小さい頃から自分が他の人間と違うことを認識しながら、そんな自分が受け入れられないまま自分探しの旅を続けていた。そんなとき現れたのはクリプトンでの反乱に失敗し、ファントムゾーンに送られたはずのゾッド将軍とその部下たち。彼らの要求は、地球に隠れているカル・エルを引き渡すことだった。
面白かったんだけど、ノリ切れないのは昔のスーパーマンが好きだったせいだろうか。人間との違いに悩み、自分探しを続けるスーパーマンという設定はどーも受け入れられないんだなー。しかも今回はいきなり、旧映画シリーズ2作目の宿敵ゾッド将軍との対峙。スーパーマン同士のスーパーバトルが繰り広げられるわけだが、これがなんというかドラゴンボール。(笑)まだ続編作る予定なわけだが、最初からこんな強敵持ってきてこの先どーなるのかと心配になる。レックス・ルーサーがこのスーパーバトルを超えられるとも思えない。戦うだけがスーパーマンの使命ではないよね。
なんかこう、もう少し脳天気でも良かったんじゃないかって気がする。そもそもスーパーマン、どこかコメディタッチがあるし。「ダークナイト」のデヴィッド・S.ゴイヤー脚本だから、シリアス路線にしたかったというのはあるんだろうけどね。
前回のリブート(すでになかったことになっている)が失敗して、再リブートなわけだが、実はこの映画はこのあと最近物議を醸している(確かに今さらベン・アフレックがブルースやらなくてもいいよね)”Batman vs Superman“に続くと言われていて、さらにこれがそのままDCコミックス版アヴェンジャーズ「ジャスティスリーグ」に続いていく……らしい。でもこの圧倒的なスーパーパワーにそもそも生身なバットマンが敵うわけもない。どーいうストーリーにするんだ、コレ?VSと付いているのはあくまでも競演ととるべきなのか。Xにしたら違う意味になってしまうし。(マテ
てことでクラーク・ケントにはヘンリー・カヴィル。胸毛がのぞくスーパーマン、髭はやしてるシーンの方が多いです。ロイス・レーンにはエイミー・アダムス。ゾッド将軍にはマイケル・シャノン。ジョー・エルにラッセル・クロウ。その他ダイアン・レインにケヴィン・コスナー、ローレンス・フィッシュバーンなど。
監督は「300」のザック・スナイダー。このまま”Batman vs Superman”の監督に続いてます。
他のヒーローたちが生身の人間だったりすることに対してスーパーマンは無敵の存在なんだよねぇ。そこも「苦悩」というものが似合わない部分なのかもしれず。もっと気高くあれよ、と願ってしまう。