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Runnin' Wild

ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:破

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公式サイト

つまりこの世界はあのあとってことでFAなの?

消滅するEVA仮説5号機、飛来する弐号機、封印される弐号機、乗っ取られる参号機、融合される零号機、覚醒する初号機、そして月から飛来する六号機。今回もさーびすさーびすっ!

俺はエヴァ世代ではないので、そこまで熱くなることがない。ガンダムのように「理屈じゃなく、漢だから!」で済ませる話にはならず、ちゃんと理屈が通ってないと嫌な訳だ。
そーいう意味で、TV版エヴァのラスト(僕はここにいていいんだ)は納得がいかなかったし、そのあとの劇場版は「ビューティフル・ドリーマー」だ!と解釈した。(笑)言い換えれば、碇シンジによる自慰的ラスト。それは決して納得のいくものではなかったが、まぁ終わりとするにはいいだろうと思った。

10年の時を経てなぜ今もう一度エヴァを語るのか。その真意が分からなかったのだが、観に行ったらちょっと理解できた。なるほど、この新劇場版こそが、本来庵野が作りたかったヱヴァなのかと。 あるいはあまりに気の毒だった主人公たちを生かしてやりたいのか。ストーリーを大幅に変えるためには、TV版の熱狂的なファンたちがある程度落ち着いて見られるようになる10年が必要だったんだろうなと。

「序」ではTV版と同じ進み方だったが、そこにはすでにTV版の「僕はここにいていいんだ」的な話が盛り込まれていて、シンジくんはすでにここで成長していた。そして「破」が描きたかったのは、これまでのヱヴァにはなかった「生への執着」だったのかなと思う。

俺がエヴァを見て常に感じていたのは、全編に漂うネガティブな思考と腐臭。常に病院の匂い、死体の匂いを感じるのは、綾波の包帯姿だけが理由ではないと思う。TV版では常に「死」を見て突き進んでいた主人公、絶望とともに生きる子供たちが、新劇場版では「生」に向かって、小さな「希望」に向かって手探りで進んでいく。それは新東京市の街の景色や、人との関わりを持たなかった綾波の変化にも見て取れる。生きること、より良く生きること、そのために食べること、人と向き合うこと。それら全てに対してちゃんと当たっていくシンジの姿は、そして誰も失いたくないという想いを持ってヱヴァに乗るというポジティブな選択ができるようになった時点で、彼はやはりTV版より大きく成長していると言えるのだろう。

ただその成長が、カヲルくんの登場したときの台詞によって「?」へと変わる。この世界そのものはいったい、いつ?実は今でも我々はシンジくんの内的世界から抜け出せてないんじゃないかという疑問符を持ったまま、新劇場版は「Q」へと続くのだった。

ヱヴァの手法は常にこうなのだろう。人々に疑問符を持たせ、それぞれに解釈させる。答えはひとつではなく無限。皆が語ってくれてこそのヱヴァ。観た人同士で討論すべきなのかもしれない。

いずれにしろ俺にとってはアスカがあーなった時点でナイフでスクリーンを切り裂いてしま……(ry 

Written by ei

7月 15th, 2009 at 3:27 am

Posted in Movies,Roadshow

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