若旦那の独り言wp

Runnin' Wild

ザ・マスター

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原題:”The Master

信じたい、人生を取り戻したい男。信じさせたい、自信を取り戻したい男。お互いのために、相反する二人は人生の一時を共にし、やはり相容れずに離れていく。

戦争帰りのフレディは精神的に病んでいた。勤め先でトラブルを起こし、漂泊して辿り着いた先は、ある新興宗教の教祖 ドッドのところ。ドッドはフレディの心の病を知り、彼を立ち直らせることで自らの正しさを証明しようとするが、フレディはドッドがもっとも忌み嫌う「獣」そのもの。決して相容れないことを知りながら、フレディも自身も変わることを願いながらドッドのグループと生活を共にしていく。

「次の生では私たちは敵同士になるだろう 」とドットが語っている通り、主人公と教祖はその立ち位置がはっきりと真反対。でもお互いに相手のことを必要としているのは、フレディは真の救済を求めていて「信じたい」から。そしてドッドはフレディを救うことができれば正に自分の説が正しいことを証明できるから。だから周囲がどんなに反対してもドッドはフレディを側に置いておこうとする。そんな二人の葛藤、受け入れたいのに受け入れられない男と自信を取り戻したい男の物語。

宗教などというものは「信じる者は救われる」という心の救済でしかない。だから別にイワシの頭でも信じれば神様なわけで、例えそれが怪しい新興宗教でも信じてればそれは幸せなんだろーなと思う。俺はダメだね、そーいうの信じられない。つーかいいんだよ、自分が信じたものを神様にしちゃえばさ。でもそれは人に押しつけていいものではないのだ。

いずれにしろはっきりとした結論が出る映画ではなく、各自の感じ方に任せるという結末。分かりやすいハリウッド映画を観てきた俺には結構辛いところもあり。でもこーいう映画こそ劇場で観るべきなのかもなーと思ったり。DVDに落ちても見そうにない。w

主演はホアキン・フェニックス。リバー・フェニックスの弟……ってことは、リバーは生きてればもう42歳なのか。個性派俳優として、個人的に記憶に残ってるのは「サイン」のあの帽子を被ってるところですかね。今回、ドッド役で助演のフィリップ・シーモア・ホフマンとがっぷり四つでぶつかってます。他にはエイミー・アダムス。
監督、脚本はポール・トーマス・アンダーソン。

劇中の新興宗教のモデルはあのサイエントロジーという噂があったとかなかったとか。ま、イワシの頭だからねー。 (笑)

Written by ei

3月 23rd, 2013 at 10:39 pm

Posted in Movies,Roadshow

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